良かれと思って言ったのに、盛大に空回りした件。〜僕が「正しさ」よりも「相手が受け取れる優しさ」を大切にするようになった理由〜

 


1.「それ、間違ってるよ」と言った僕の空回り

先週、職場の後輩とのちょっとした会話で、盛大に空回りしました。
彼がある業務の進め方について話していたとき、僕はつい「それ、間違ってるよ」と口にしてしまったんです。
もちろん、悪気はなかった。むしろ、彼のためを思ってのことでした。
でも、その瞬間、彼の表情がすっと曇ったのがわかりました。

その後も会話は続いたけれど、どこかぎこちなくて、僕の言葉が彼の心に届いていないことが、痛いほど伝わってきました。
帰り道、電車の窓に映る自分の顔を見ながら、なんとも言えない気持ちになりました。
「正しいことを言ったはずなのに、なんでこんなに後味が悪いんだろう?」
そんな問いが、ずっと頭の中をぐるぐる回っていました。

こういうこと、ありませんか?
誰かのためにと思って言った一言が、逆に距離を生んでしまう。
自分では「親切心」だったつもりが、相手には「否定」にしか聞こえなかった。
僕はその日、自分の“正しさ”が、誰かを傷つけることもあるんだと、改めて思い知らされました。


2.「正しさ」は、時に独りよがりになる

あの時の僕は、ただ「間違いを正したかった」わけじゃない。
彼が無駄な時間を使わないように、もっと効率よく進められるように、と思っていた。
でも、今思えば、それは僕の価値観の押しつけだったのかもしれません。

僕は昔から、「間違っていることをそのままにしておくのは不誠実だ」と思ってきました。
だからこそ、誰かが違う方向に進んでいると感じたら、つい口を挟んでしまう。
でも、それって本当に“誠実”なんでしょうか。

彼の立場になって考えてみると、初めての業務で不安もあっただろうし、自分なりに工夫していた部分もあったはず。
そんな中で、年上の僕から「それ、間違ってるよ」と言われたら、どう感じるか。
きっと、「否定された」「努力を見てもらえなかった」と思ったかもしれません。

僕は、自分の中の“正しさ”に囚われて、相手の気持ちを見落としていたんです。
それに気づいたとき、なんだか胸がぎゅっと締めつけられるような気持ちになりました。


3.「優しさ」は、相手が受け取れる形でないと意味がない

この出来事をきっかけに、僕は「正しさ」よりも「優しさ」を選びたいと思うようになりました。
でも、それはただ甘やかすということではなくて、「相手が受け取れる形で伝える」ということ。

言葉って、どんなに正しくても、どんなに善意でも、伝え方ひとつで毒にも薬にもなる。
僕が言いたかったのは「こうするともっと良くなるよ」という提案だったのに、
伝え方が「否定」になってしまったことで、彼の心には届かなかった。

それ以来、僕はまず「相手の立場に立ってみる」ことを意識するようになりました。
そして、「今この人は、どんな言葉なら受け取れるだろう?」と考えるようになったんです。

もちろん、うまくいかないこともあります。
でも、少しずつ、言葉の選び方が変わってきた気がします。
それは、僕自身が「完璧じゃなくてもいい」と思えるようになったからかもしれません。


4. こんな僕でも、少しずつ優しくなりたい

もし、あなたにも似たような経験があるなら、僕はその気持ちに寄り添いたい。
「良かれと思って言ったのに、うまく伝わらなかった」
そんなこと、誰にでもあると思います。

でも、そこから何かを学べるなら、その空回りも無駄じゃない。
僕はまだまだ不器用だけど、少しずつ「優しさの伝え方」を覚えていきたいと思っています。

正しさよりも、相手の心に届く言葉を。
そんなふうに生きていけたら、少しだけ世界がやさしくなる気がするんです。