何をブログに綴るか?これが、目下の問題だ。
果たして、私の綴ったものを、ブログにあげて世に出すことにどんな意味があるだろうか。何か役に立つのだろうか。
言わずものがな、それは、どんな内容のブログを書くかによる。それは、簡単で明白なことだ。人の役に立つ内容を書けば、人は有用だと判断するけど、ただの感情なり、誰でもない人の、くだらない出来事を綴ったところで、人は有用とは認めてくれない。
自分というフィールターを通して見た世界を、自分の言葉で語る。これは、意味があることかもしれない。世界の見方は、千差万別である。人々が、求めているのは、その他人の視点だ。他の人はどう考えているかを、人々は知りたがっている。それは、一般論を超えた、個人の意見、社会的な許容範囲としての常識的な意見とは、異なることを語ることで、人に新たな視点を与えることができる。
その役割を果たすのが、ブログという、個人メディアの役割かもしれない。
それでは、具体的にどんなことを、ブログで綴っていこうか、考えてみる。ニュースなどをどう個人として感じたか、考えたか、本を読んでの、感想なんかもいい。そうすると、あらゆる娯楽や、出来事が綴るべき対象になってくる。
そう、書くべきことは、無限に存在しているのだ。
しかし、それだけ、無限にある題材を見つけられずに、書けずにいる。これは、一体なんだろう。
日々、様々な経験をしているにも、関わらずに書けない。それは、自分の中にアンテナが立っていないこと、つまり、意識的に書くことを探していない。心の情動を感じ取って、心動かされたことを、記録していないことに問題があるのかもしれない。そうでなければ、無限にある題材を、どうにもできないのは、おかしいからだ。
あと、考えられるのは、自分を通して世界を見ていることを、当たり前と考えてしまい。あらゆることを、それらはもう以前に考えた、感じたことなど、と、無価値に扱ってしまい。価値あることだと、気づけないことが原因かもしれない。
それは、本当は価値あるものになり得るのに、自分の中の常識から、切り捨ててしまい、利用できずにいる状態だ。
だから、無価値と思えるものを、どう扱えば、無価値でない、新たな切り口として、自分にも世の中にも、提示できるか、が、重要で、それが、価値を創造すると言う事なのかもしれない。
つまり、世に存在するあらゆることは、価値あるものになりえる可能性のあるものではるが、そのままでは使えず、人が思考して、再構築して、そのままでは無価値のものを価値あるものに作り変えることが、仕事である。
自分が価値を付け加えるのだ。価値あるものを、探すのではない。ここに、気ずくことが、大事なのかもしれない。
いつも書くことがないとか、価値ある出来事がないといって、何も書けないのは、価値あることがどこかにあると、思って探しているだけで、自ら価値を生み出そうとしていないということだ。
しかし、確かに、世の中には、そのままでも、価値があるという情報もないわけではない。けれども、価値があるから、そのままで、では、そのモノの発展性は皆無だ。
人が携わるからないは、価値を付加して、発展させるからこそ、価値がある。
だから、インターネット上に、蔓延る、ただのコピペしただけの、記事は、本当に価値がない代物だ。情報を発信するならば、価値を付加したうえでか、そもそも、オリジナルの情報を発信しなくてはならない。
まぁ、そういう方針で、何か価値あるものを世に提供できるブログを目指したい。
果たして、私の綴ったものを、ブログにあげて世に出すことにどんな意味があるだろうか。何か役に立つのだろうか。
言わずものがな、それは、どんな内容のブログを書くかによる。それは、簡単で明白なことだ。人の役に立つ内容を書けば、人は有用だと判断するけど、ただの感情なり、誰でもない人の、くだらない出来事を綴ったところで、人は有用とは認めてくれない。
自分というフィールターを通して見た世界を、自分の言葉で語る。これは、意味があることかもしれない。世界の見方は、千差万別である。人々が、求めているのは、その他人の視点だ。他の人はどう考えているかを、人々は知りたがっている。それは、一般論を超えた、個人の意見、社会的な許容範囲としての常識的な意見とは、異なることを語ることで、人に新たな視点を与えることができる。
その役割を果たすのが、ブログという、個人メディアの役割かもしれない。
それでは、具体的にどんなことを、ブログで綴っていこうか、考えてみる。ニュースなどをどう個人として感じたか、考えたか、本を読んでの、感想なんかもいい。そうすると、あらゆる娯楽や、出来事が綴るべき対象になってくる。
そう、書くべきことは、無限に存在しているのだ。
しかし、それだけ、無限にある題材を見つけられずに、書けずにいる。これは、一体なんだろう。
日々、様々な経験をしているにも、関わらずに書けない。それは、自分の中にアンテナが立っていないこと、つまり、意識的に書くことを探していない。心の情動を感じ取って、心動かされたことを、記録していないことに問題があるのかもしれない。そうでなければ、無限にある題材を、どうにもできないのは、おかしいからだ。
あと、考えられるのは、自分を通して世界を見ていることを、当たり前と考えてしまい。あらゆることを、それらはもう以前に考えた、感じたことなど、と、無価値に扱ってしまい。価値あることだと、気づけないことが原因かもしれない。
それは、本当は価値あるものになり得るのに、自分の中の常識から、切り捨ててしまい、利用できずにいる状態だ。
だから、無価値と思えるものを、どう扱えば、無価値でない、新たな切り口として、自分にも世の中にも、提示できるか、が、重要で、それが、価値を創造すると言う事なのかもしれない。
つまり、世に存在するあらゆることは、価値あるものになりえる可能性のあるものではるが、そのままでは使えず、人が思考して、再構築して、そのままでは無価値のものを価値あるものに作り変えることが、仕事である。
自分が価値を付け加えるのだ。価値あるものを、探すのではない。ここに、気ずくことが、大事なのかもしれない。
いつも書くことがないとか、価値ある出来事がないといって、何も書けないのは、価値あることがどこかにあると、思って探しているだけで、自ら価値を生み出そうとしていないということだ。
しかし、確かに、世の中には、そのままでも、価値があるという情報もないわけではない。けれども、価値があるから、そのままで、では、そのモノの発展性は皆無だ。
人が携わるからないは、価値を付加して、発展させるからこそ、価値がある。
だから、インターネット上に、蔓延る、ただのコピペしただけの、記事は、本当に価値がない代物だ。情報を発信するならば、価値を付加したうえでか、そもそも、オリジナルの情報を発信しなくてはならない。
まぁ、そういう方針で、何か価値あるものを世に提供できるブログを目指したい。