音楽がある生活が日常になった。No life, No music.なんて音楽好きは言うけれど、そこまで音楽が好きでなくても、いまの音楽がいつでも側にある環境は素晴らしい。
有料、無料を問わず、世界中の音楽が小さなスマホの端末でいつでもアクセスできる。様々なジャンルの音楽がこんなに簡単に聞けるなど、わたしが小さい頃には考えてもみなかった。
音楽が聞きたければテレビかラジオをカセットテープに録画する時代を経てからだと、いまの時代の良さを羨ましく思う。
自分の好みの音楽を知るために、様々な種類の音楽に触れることは、大人になる過程での自己を知る為の通過儀礼でもあった。わたしの時代では、それができるようになるには、高校生ぐらいになってアルバイトをしてお金をためCDを借りたり、買ったりできるようになってからである。
ところが、いまの子どもたちは小さい時からいくらでも浴びるように様々な音楽に触れることができるので、たぶん音楽への造形が磨かれるのも早いのだろう。また、音感やリズム感など、音楽をたくさん触れることで発達も早い筈だ。
わたしが生まれた1970年台に比べて、情報量が比較にならないくらいに多く。小さい頃から触れられるいまの世代は、この情報処理社会では、わたしより有利に様々な能力を身につけていくだろう。なんとも、羨ましいばかりである。
そして、情報リテラシー、プログラミングなど、昔はなかった内容を学ぶ彼らはデジタルネイティブ世代になる。
一方、デジタルネイティブ以前の世代はどうすれば今の時代で生きていけるのだろうか。大人になってからデジタルに触れて知識を学んできた人間と、生まれながらに触れている人間では、身につけるハードルの差は歴然だ。
子どもたちが難なくプログラムなどを身につけるのに、大人にはハードルが高くなっている。最新のテクノロジーに付いていけない世代もでてきている。
どうすればいいのだろうか?必死に食らいついていくため学びを続けることが解決策であることは間違いないが、それができる人は一握りだ。
全ての人が常にデジタルの機器に触れて過ごす時間が増えている。そうなてくると、デジタル・フレンドリーな能力がないと、将来、仕事に就けなくなってくる可能性がある。
なので、大人になってからプログラミングを学ぶなど、心理的な抵抗が大きいが高度なことができなくても、簡単なことだけでもできるようになっておくべきだ。そうすれば何かしら仕事に就くことができるだろうが、何もできない人には難しくなる。
あらゆる機器やデジタルの世界の中枢的な役割の大事な部分は、一般の人では理解できないブラック・ボックス化されていて、普通の人は、そこまで理解することは求められていない。
求められるのは基本的な能力だけだ。ネットワーク、プログラミングなどの、一般的な簡単な知識があればなんとかなるのである。
だから、恐れずに学びを初めてはどうだろうか。