関心

 
 もう何年もまともに人と話をしていない。仕事で当たり障りのない会話やたまに付き合いで昔の知り合いと飲みに行っても、自分から会話らしい会話をした試しがない。いつも、その場の空気に邪魔にならないように、静かに、そして、楽しく一緒に過ごさせてもらってますよと言った具合な作り笑いで、時間が過ぎ、お開きになるのをただお酒を頼りに待つだけだ。
 一体、いつからこんな自分になってしまったのだろうか。いつから他人に興味をなくしてしまったのだろうか。
 生きていれば、仕事もすれば、仕事仲間や古い友人などとの付き合いはある。しかし、そうやって人との繋がりが全くないわけではないのに、人に関心が持てないのである。関心が持てないと言って、人と会っている時に、人の会話を全く聞いていないとか、相槌を打たないとか、そういったことができないわけではなく。ただ単純に興味がなく相手から話を聞いても何も感じないし、何の疑問も湧かないし、何か質問したくなるような事は起こらない。しかし、ある程度、空気も読め一応、最低限の社交性を持ってもいるので、面倒だが相槌は打つし、別に聞きたくもないが、面白いと笑って見せもするし、興味があるふりをして、質問をぶつけもする。
 別段、こんな生き方を望んでいるわけでは決してない。けれども、なぜか、こういう状況になっているのである。なぜであろうか。自分の周りの人間がそもそも、つまらない人間であって、その結果、関心が持てないだけのことであるのか。それとも、精神的に破綻した性質を持っており、人に興味を持てない人間であるということなのだろうか。結局のところ、人に関心が持てないということだけが事実であって、真実はわからないし、現実はかわらない。こんな、自分を上手く操って生きて行くだけである。昔は、苦労したがいまは、わりかし普通の人のように振る舞えている気がする。人によっては、かなり社交性があり、話しやすいとの評価をするものもいたりもするので、自分ではよくわからないが、演技が上手くなったのだろうと思う。
 そうやって人は成長して行くものだとか、カッコつけたことを言ってみても、結局は、ただ、慣れでどう反応すれば上手く生きていけるかを学んだだけである。それでも、はたから見れば普通の人の出来上がりであるので、人の心はわからないものである。実際、人はどのくらい相手の考えや感情を読み取ることができるのだろうか。相手の反応を見て、こちらの反応を決めている私にとってそれは、相手の思考や感情をわかっているということでいいのだろうか。それとも、相手の会話と顔の表情で反応しているので、それは、ある意味でよく相手を見ていることを意味しているのではないか。感情的にや好奇心として、相手には関心がなくても、自己を守るために社交的な行動をして相手の感情を害しないようにすることにおいては、相手に注意を置いていることになる。それは、無意識の関心であり、心が動かなくても、人は人を気にかけなくては生きていけない動物なのだろう。人は他人の行動に恐怖心をいつも宿してる。それを、わかりやすく表に出すことを良しとしないことで成り立っている文化、文明が人間社会だ。そういった社会の中で、私は基本的なスキルとして相手の害にならないように気を使うといった関心だけは、機能してい人間であるようだ。こんな私でも、人の感情や思考の葛藤や機微をストーリーに込める小説家という仕事ができるのであろうか。しかし、物語が好きで小説の中の登場人物には、関心が持てるし、感情移入もする。まして、泣いてしまったりもする。だから、小説の世界なら人に関心を持て、興味も持てるので、逆に、小説に熱中できるぶん天職なのかもしれないと、勝手にいい解釈をしておこう。