綴方という作文教育

1910年代に入る前後のころ以降日本に現れた,子どもの生活全体の指導を目的とする教育方法
出典 株式会社平凡社世界大百科事典 第2版について

生活人としての子どもや青年たちが、生活のなかから発見したこと、考えたこと、感じたことを生き生きと表現した作文。また、これを推進する活動をもいう。
出典 精選版 日本国語大辞典精選版 日本国語大辞典について

綴方の分類
・見たこと、聞いたことを忠実に描写を至上とする
・文章の芸術的味わいに価値を置く
・生活改善に寄与する道徳的側面を重視する

昔の日本で行われていた教育方法に、生活綴方というのがある。これは今で言う自由作文に一種であるが、子どもが生活の中で起きた事実を正確に認識して文章化することや、起きたことの感情の描写することによる情動の理解の助けとなったり、自分が考えたことを文章で表現するを養うのに役立たたりと、子供の国語力をあげる良い教育方法である。

 私が受けた国語教育で作文の授業はあったが、何も覚えていない。そもそも作文自体殆どやった試しがない。文章を書くのは、夏休みの宿題の読書感想文だけであった気がする。
 そして、国語の授業でも漢字の読み方、書き方と、名文と呼ばれるような有名な作者の作品を読むという内容であり、その名文にしても一冊を丸々読むのではなく一部抜粋を読むだけだ。
 こんな学びのやり方では到底、国語力がつくはずがない。
 なぜなら、私が小学生の上級生の時の読書感想文や、文集などを読み返してみると、まともに文章になってなく誤字脱字も多く、低学年の作文の内容であったからだ。
 こんな国語力がない状態、つまり日本語の理解力、文章力がない中で、次々に新しいことを学ばせるやり方、その学ばせ方も基本的に覚えることだけでするやり方で教育されたので、習ったことの単語を覚えるだけで、理解をせぬままに次のことを学ぶので、次も理解せず、ただノートを写して単語を覚えることだけをすることを勉強だと学んでしまうのだ。
 ノートをとり、単語を覚えれば、テストの穴埋め問題や選択問題は解けて点数が取れるので、勉強ができたと勘違いして学んだ気になってしまうところが、また恐ろしい。
 そのことに気がついたのは、大人になってからだ。昔習ったことの単語を思い出したとしても、一つの思想、理論としての理解は皆無であり、身についていない。
 学ぶことができない、理解ができない、すべての元凶は国語力の無さだ。もっとしっかり国語力を身につけていたらどれだけ、その後の人生が楽であったかと、今更ながら深く感じる。
 こんな私が少しは読み書きができるようになったのは、大人になってから本を読むようになり、必要に迫られて文章を書くことをするようになったからである。
 それでも最初の頃は、本当に何も書けないだけでなく、書けても稚拙過ぎたり、文章になっていなかったりと、多少なりとも人に伝わる文章になるだけでも、相当に苦労したことを今でも思い出す。
 だから、これだけ苦労した私だから、これからの親は自分の子供にもっと国語教育をするべきだと考える。特に作文を、昔の教育方法である綴り方をやるべきだ。なぜなら、今の学校では学ぶことはできない。学ばせられるのは親だけである。子供が個人的に書く日記ではなく、生活綴方として、日々の生活を綴り、親がその内容を添削する、コメントを書いてあげるなどして、親子でする文通のように、交換日記のように楽しく書くことを学ばせることが、学力向上、情動の教育として最も効果があるはずだ。

 親と子のコミュニケーションが不足していると言われている現代だから、このような形で親子で一つのノートで生活綴方を通してコミュニケーションしてはどうだろうか。

 綴方のおすすめ本

内容(「BOOK」データベースより)昭和初期の東京下町に暮らすブリキ職人一家の生活をありのままに綴り、教師の指導記録を付して出版された豊田正子(1922‐)の文集(1937年刊)。多くの人々に深い共感をもって読みつがれ、映画・演劇にも取り上げられた記録文学の名作である。続篇の『続綴方教室』や『粘土のお面』からも10篇を抜粋して併せ収めた。