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【ジュネーブ共同】世界保健機関(WHO)年次総会が20日、ジュネーブの国連欧州本部で開幕した。オンラインゲームやテレビゲームのやり過ぎで日常生活が困難になる「ゲーム障害」を新たな依存症として加えた「国際疾病分類」最新版が28日までの会期中に採択される予定だ。
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コメント
スマホをはじめとする携帯端末の普及に伴って、ゲームに依存してしまう人が増えてきています。それが、ついには世界的な医療問題として、国際疾病分類で正式にゲーム障害というのが認定されるようです。
もし、私が子供でスマホを持っていたら、ゲームが好きなので、いつまでもやってしまい昔は熱中しているで済んだものが、いまではゲーム障害として依存症として言われてしまいそうですね。
熱中と依存の違いは、どういった違いがあるのでしょうね?
熱中は良い捉え方として、全身全霊を掛けて、脇目を振らずに取り組むといった状態をいうのでしょうか。他方、依存は自身のコントロールを超えてある特定の行動のプロセスを繰り返し取らざるおえない身体の状態になるといったところでしょうか。
熱中して繰り返し取り組んでいる状態が、ある時から反復的な繰り返しによる報酬系のホルモンの分泌に慣れてしまう状態。報酬系のホルモンを求めて、やめられなくなる脳の病気が依存症と呼ばれています。
しかし、熱中(集中)して繰り返し取り組むことで人は、その行為から学び成長するのは、良いことであることを知っています。けれども、それを超えて依存症と言われるほどに、熱中することは果たして、本当に悪いことなのでしょうか?
一つのことに熱中して、他のことは何でもどうでも良くなるくらい、その世界に熱中できるなんて、私からすると素晴らしいことではと、思ってしまうのは変なのでしょうか?
天才と呼ばれる人たちは、ある分野のことに病的に熱中して続けた結果、偉大な業績を残した人が多いことを考えると、決して悪いことではないように思えます。
私からすると依存症と呼ばれるもの、特に物質的な依存症ではなく、プロセス依存症は、熱中するもの種類の社会的な評価によって差別された結果に過ぎないのではないかと思います。
今回のゲーム依存症しかりで、ゲームは昔から人間に悪影響を与えるとの社会的な偏見が多くありました。 けれども、現在ではその様な、偏見の多くは間違いであることが科学的に証明されていても、未だ社会的な差別の対象であることで依存症扱いをされているような気がしてなりません。
例えば、ゲーム依存ではなく、何かの人の役に立つ研究で熱中しすぎて亡くなった場合、それは逆に美談にすらなり、それを依存症とは決して言わない気がします。
だから、結局は何に熱中していたのか、やっていたことの社会的に理解が得られること、差別されていないことなら、依存症とは言われないのではと思います。
ゲームを好きな私としては、ゲームの社会的な理解が進み、偏見なく、決して悪いものではないと言われる日がくることを願っています。
プロゲーマーなどは、特に、野球選手やサッカー選手のように、ある分野でとことん技術を高めたプロフェッショナルとして、尊敬される世の中になり、ゲームのやりすぎが依存症とは言われなくなってほしいと思っています。