書くことは人として生きること!


ここ十日ほど何も書いていなかった。毎日、書くと決めていた日記やブログを、書かずに期間が空いてしまった。
 書かずにいた期間に私は何をして、何を考えていたのだろうかと振り返る。ただダラダラと日常を生きて、何かしらの、思いを感じて、ふとした考えはよぎったように思う。たしか、今日も何も書いてないなとか、その程度で、何も思考らしい思考はしないままの生活になってしまった。
 振り返ると何も記憶になく、何も感じずに、何も考えずに、まるで自分が自動化されたロボットになり、代わりに人生を生きてくれて、何も考えず、感じずに、お任せに生きていたように思う。
 日常という生活を、だだ自動で反応して、生きていただけ。
 そこに感情や、思考は一切含まれない。生活の記録は記憶されるが、古いものからすぐに消えていき、三日かも経てば何も覚えていない。
 この十日ほどの書かずにいた期間は、自動化ロボットの様な生活で、人として生きていなかった様に感じる。
 なぜ、そう感じるのか。それは、ひとえに思考をしてこなかったことが、原因だと思う。
 私は、思考とは、自分の中にある、思いや、考えを取り出す作業であると思っている。
 思いや、考えを取り出すことをしないで、消去してしまう生活は、何も記憶にも記録にも残らない生活になる。
 この十日間で、その事をよく学んだ気がする。思考をアウトプットして、記録にのこさない生活は、無感覚、無関心、無思考で生きることだ。
 思考を書きだし、何かしらの日記なり、ブログなりにする目的で、纏めると、自らの思い、考えを真に感じて、記憶に残せるようになる。
 アウトプットした思考が記録されるだけんでなく、記憶にもしっかりと焼きつくこの書くという行為は、人生を感じる為には、必須のツールであり、最重要なものだと、改めて感じた。    人の頭の中に浮かぶ思い、考えは断片的であり、一過性のもので持続しない。その場で、その思い、考えを掴まなかったら永遠に消えてしまう。 その為、思考を書き出し、メモすることが大事であり、その作業が思考の始まりとなる。  思い、考えを外部にアウトプットする作業を通して、それらを整理、分類することで、吟味して、それらに共通項を見つけたり、何かの解決策につながったり、気づきの発見になるのだ。
 人はその様な作業を通してしか、真に深い思考ができない。日々の生活の中で、考えが浮かんで来ている部分は、思考の表層でしかない。
 人は書き出すことで思考を整理して、分類して、吟味する作業を通して、真に自分の中に芽生えた思いや、考えを知ることができる。
 だから、日々の生活で思考を書き出すことをしない生活は、自分の思いや考えを無視して、何も感じずに、無関心で生きていると言って良い。  自分を自動化したロボットに人生を任せないで、自らが思い、考える、人として生きるには、書くことは必須の要件だ。
 人として、日々の生活の味わう為に、思いを大事に、情動をメモしよう。そして書くことを通して、人生を取り戻そう。