若さの過大評価は禁物です。。。

 今朝は久しぶりに早起きして朝食を終えて散歩に出かけた。ここの所、アップル・ウォッチの活動量計で運動量が足りてい日々を送っていたこともあり、早起きついでに歩いて15分ほどの運動公園に散歩に行くことにしたのだ。
 冬の朝の肌を指すような寒さが、一日中家に籠もり外に出ない生活を送っていた身にとっては新鮮であり、身も心も引き締まる様に感じた。
 静かな町並みを抜けて運動公園に至るその道中は、はや歩きで軽くあがる息が心地よく身体に活力が戻るような感覚を感じた。
 横幅が100位上はあるここらでは比較的大きな運動公園には、大小様々な形の鉄棒型の筋肉トレーニング器具が揃っている。
 今回のこの公園での一番の目的は何かというと、鉄棒で懸垂や、大車輪を試すことである。なぜ、そんなことがしたいのかというと、近頃人気のソーシャルアプリの動画でカッコよく鉄棒で筋肉トレーニングしているのや、凄い技術で鉄棒を操る猛者たちに触発されたからだ。
 それに加えて、高校時代に大車輪を結局一度もできたことがなかったことの心残りがあり、今からでもできるようになるのではと思って、まずは試しにと思った次第なのだ。
 早速、鉄棒に挑戦をするのだが、まずは懸垂を試みる身体が持ち上がらずに一度もできない。ずるだが、ジャンプして勢いを借りて見ても鉄棒の上に顎を持っていくことは一度もできなかった。
 かつて、高校時代には懸垂は、最低10回以上はできた記憶があり、20回ぐらいはできたのではと思っていたので、今回も10回できるか、できないかではと、高を括っていたのだが、現実は厳しく一度もできなかった。
 これにはかなり心が折れた出来事であった。日頃、年の割には体型を気にしたり、多少は身体を動かしたり、軽い筋トレなどもしていて、まだまだ、年ほどには体力が落ちていないと自負していたのにも関わらずであったからだ。
 懸垂というのは、普段の身体の使い方にはない筋肉の使い方であることは理解しているつもりだが、それでも多少、筋力があれば、筋トレをしていれば、できるものだと思っていたものが、一度もできないとは、どれほど自分のやってきた筋トレを過信していたんだろうと自信を失った。
 まぁ、最近の筋トレの手法は、名前は忘れたが、なんとかという人のトレーニングメソットで、その名前も忘れたというどうしょうもない話だが、要は、軽い負荷の筋トレで回数を多くするやり方をすると、普通の筋トレの筋肉量を増やすのを目的にするのとは違い、筋力を安全に高めることができるというので採用した筋トレ方法なのだ。この方法は細マッチョを目指すなら最適な筋トレということで採用したのだ。
 だが、結果は懸垂には勝てなかった。まぁ、この筋トレを方法を始めたのは、ここ最近であり、それでも身体が引き締まって筋肉量も多少アップしたことを考えると、老化からの体力、筋力の低下が思っていた以上に激しく、少し筋トレをしただけでは筋力は戻らないということなのだろう。
 自分では筋力も体力もまだまだ、あると思っている所に問題があるのだろう。人間分かりやすくゲームのようにステイタス表示が出れば正確な自分の力がわかるのだろうが、どうも若い頃の自分でいたいという思いからか、自身の本当の状態とはかけ離れた過度な評価を自分に与えてしまうものらしい。
 懸垂ができないのが、現実であり、これが月日によって徐々に奪われた身体能力の馴れの果なのだろう。この現実をしっかり受け止めて、これからでもしっかりと現実に即したトレーニングを積んでいき昔の身体能力を取り戻したいものだ。
 まずは、懸垂を一回からスタートだ。若さや、健康を過大評価しないことも大事なことなのだろう。自分はまだ若いと思っている人ほど、その傾向が強いのだろう。わたしのように。この教訓を忘れずに、若さと健康を取り戻そうと思う。