朝起きて食事をして、仕事する。夜は少しの自分だけの自由時間を持ち、寝てまた次の朝が来る。いつもの日常、多少やることが変わっても基本は起きて、食事をして、なにかして、また寝ることが人生だ。そのパターンは至極単純であり、他の人との違いはなにかをしての部分の違いだけだ。
人は皆同じサイクルに囚われており、そこから抜け出すのは亡くなった時だけだ。だが、そんなサイクルは皆同じはずなのに、そうではない人がいる様に思うことが度々ある。
それは何も食事をしない、寝ないとかの話ではなく、なにか特別なことをしていると言うことでもない。例をあげると、同窓会などで小学生時代の同窓と会って話をしたりする。昔話に花を咲かせるのだが、時々、誰も覚えていなことを口にしたり、エピソードが食い違うことがある。
そういうことがあると、この人は突然この世界に急に現れた人ではないかと思うことがある。その人にとっては変わらぬ日常なのだろうが、知らぬ間に寝て起きたら世界を跨いでいて、似ているが違う世界に放り込まれたのではないかと思うのだ。
それがサイクルから抜け出したのではと思う人たちである。その人自身も気づかない間にサイクルから抜けて、他の世界のサイクルに入っている。
ほぼ変わらない世界であるが過去の微細な所が違っていたりするが、記憶違いと思ったり、忘れていただけと周りも気にしないので何も問題にはならない。
自分と違う記憶の話をする人に会うと、そう思ってしまうのだ。
人は寝て、起きて新たな一日を生きる。だが、果たして昨日の自分と今日の自分は同じなのか?そればかりか同じ世界に生きているのだろうか?と時々考えてしまう。
寝て意識がない状態では、自己を認識できない。意識が途切れた瞬間に、意識の継続性が絶たれるのに同じ自己として認識できるのはどうしてなのだろうか。
など時折、自分と世界について物思いにふけることがある。なぜ、このようなことを考えたりするのかというと、過去は鮮明な記憶ではないにしても自分の中に存在はしているのだが、それが本当に自分が経験した過去なのかと実感を感じられないように思ったりするからだ。
古い過去の記憶なのだから、忘れるし実感も薄れるのが普通かもしれないが、心の奥底で何か違うのではと引っかかることがあり、このような思想に取り憑かれるように考えるようになった。
この世界は高度な文明が作り出したシュミレーションの世界の一つなのかもしれないとう説があるが、本当にそうなのではないかと思ったりもする。
もしシュミレーションの世界であるなら、この今いる世界だけではなく同時並行列的に多種の可能性の世界がシュミレーションされているのではないかと思う。そのシュミレーションの過程で、何かのエラー的に他の世界の記憶をこの世界の人間に記憶されてしまったりするのではないかと思う。
人が神隠しに合うのも、前世の記憶を持って生まれるのも、未来から来たと言う人が時折現れるのも、このエラーのせいではないかなどと妄想する。
と、近頃、妄想しているこの自分と世界についての考えはどう思いますか。これを題材に何か物語を書けたらなんても思っています。
では、では、、、
人は皆同じサイクルに囚われており、そこから抜け出すのは亡くなった時だけだ。だが、そんなサイクルは皆同じはずなのに、そうではない人がいる様に思うことが度々ある。
それは何も食事をしない、寝ないとかの話ではなく、なにか特別なことをしていると言うことでもない。例をあげると、同窓会などで小学生時代の同窓と会って話をしたりする。昔話に花を咲かせるのだが、時々、誰も覚えていなことを口にしたり、エピソードが食い違うことがある。
そういうことがあると、この人は突然この世界に急に現れた人ではないかと思うことがある。その人にとっては変わらぬ日常なのだろうが、知らぬ間に寝て起きたら世界を跨いでいて、似ているが違う世界に放り込まれたのではないかと思うのだ。
それがサイクルから抜け出したのではと思う人たちである。その人自身も気づかない間にサイクルから抜けて、他の世界のサイクルに入っている。
ほぼ変わらない世界であるが過去の微細な所が違っていたりするが、記憶違いと思ったり、忘れていただけと周りも気にしないので何も問題にはならない。
自分と違う記憶の話をする人に会うと、そう思ってしまうのだ。
人は寝て、起きて新たな一日を生きる。だが、果たして昨日の自分と今日の自分は同じなのか?そればかりか同じ世界に生きているのだろうか?と時々考えてしまう。
寝て意識がない状態では、自己を認識できない。意識が途切れた瞬間に、意識の継続性が絶たれるのに同じ自己として認識できるのはどうしてなのだろうか。
など時折、自分と世界について物思いにふけることがある。なぜ、このようなことを考えたりするのかというと、過去は鮮明な記憶ではないにしても自分の中に存在はしているのだが、それが本当に自分が経験した過去なのかと実感を感じられないように思ったりするからだ。
古い過去の記憶なのだから、忘れるし実感も薄れるのが普通かもしれないが、心の奥底で何か違うのではと引っかかることがあり、このような思想に取り憑かれるように考えるようになった。
この世界は高度な文明が作り出したシュミレーションの世界の一つなのかもしれないとう説があるが、本当にそうなのではないかと思ったりもする。
もしシュミレーションの世界であるなら、この今いる世界だけではなく同時並行列的に多種の可能性の世界がシュミレーションされているのではないかと思う。そのシュミレーションの過程で、何かのエラー的に他の世界の記憶をこの世界の人間に記憶されてしまったりするのではないかと思う。
人が神隠しに合うのも、前世の記憶を持って生まれるのも、未来から来たと言う人が時折現れるのも、このエラーのせいではないかなどと妄想する。
と、近頃、妄想しているこの自分と世界についての考えはどう思いますか。これを題材に何か物語を書けたらなんても思っています。
では、では、、、