昭和観が抜けきらない私の悩み

昨今のテクノロジーの進歩が早いのは、新しいワクワクする商品が毎年生まれているとう楽しさがある一方で、製品の陳腐化の速度が早すぎて困ってしまう。特に、昭和世代の私のような人間には、一つ何か高価な電子機器を買ったら10年ぐらい使うのを想定するぐらいの感覚であったが、今ではスマホを例にとると2年ぐらいで替え時、4年立ったら古い、6年も立ったらほぼ使えない位になっているように思う。

まず2年でバッテリーがほぼ使えなくなり、新品に交換するか、外部バッテリー頼みでの運用を迫られる。そして4年も経つと一応使えているが、バッテリーはダメだし、機器の速度の遅さに不満が高まり、6年も経つとほぼ使えなくなる。これがタブレットでもpcでも大体同じような状態になっている。

テレビなどの単純な機器は今でも、10年ぐらいは普通に使えるが、ことスマート機器に関していうとそうはならずに、入れ替わりが激しい。

スマート機器は毎日かなりの時間を使う端末なので、ある程度高額な商品であっても、例えすぐに使えなくなっても買い続ける人が多いのだろう。

まだスマホが一般化してからそれ程経っている訳ではないが、この入れ替わりの速さには、使用者としては頭の痛い問題である。

すぐに製品が陳腐化するので、買い替えサイクルが早いのに製品が高額であることが不満だ。それでも一応、メーカーが古い製品を買い取りしてくれるので、無価値にはならないが、それは買い替えサイクルを促進する為にしている行為であり、常に新しい製品を購入させるよう仕向けられている。

最新の面白いゲームやコンテンツなどをするには高額な機器が必要であり、一度高額で快適な操作性、速度を体験したらもう低価格のスペックが低いものでは満足できなくなる。

そうなるともう高額でも端末を買い続けるしかないメーカーの罠に嵌ってしまうのだ。アップルなどのスマート端末メイカーがこれ程大きくなったのは、このサイクルの早い製品を高額で販売し続けられるからなのだろう。

これでは日本の白物家電など製品寿命が長い製品を作っていただけの、日本の家電メーカーとは大きな差が出てきてしまうのは当たり前なのだろう。

これからもスマート機器は、生活の中の中心的な役割であり続ける限り、高額でも買い続けるしかのだろう。高度な情報化社会では、スマート機器での情報力の差が年収差になる時代である。

だから、それをわかっている人は最低2年おきには端末を替えるのだろう。なかには常に最新の端末でなければ気に入らないという猛者もいるが、わたしは昔ながらの感覚が濃い人間なので、なかなか端末を替えられない貧乏性なのだ。

操作速度が遅く快適でない、ある機能が使えないなど、不利益なのはわかっていながら処理速度の向上、少し今よりできることが変わるというだけで、製品を新しく買うことに抵抗を感じてしまうのだ。

生産性をあげるためには、最新の製品を購入するのは悪いことではないのにどうしても、それとは別に期間で考えてしまうのだ。買った製品とたった2年の付き合いなんて、付き合い始めの彼女からまた別の彼女に乗り換えるような心地がしてどうもしっくりこないのだ。

できれば最低10年ぐらい寄り添って、月日を分かち合い、それでも最終的には泣く泣く別れるそれくらいが昭和感が抜けきれない自分には合っていて、そのようにしたい思いがある。

だが、仕事で使う必要性があるので、そうは言ってられずに買い換える必要性に迫られるのが悩みである。毎度、端末の購入のタイミングや製品選びにも頭を悩ませるし、なんとかもっと長く使える製品が出て欲しいものである。

そろそろスマホも、PCも替えなければならない。あぁ、頭が痛い問題だ。