日記を書こうとして、何か楽しかったことや、明るい話題は何かないかと考えて、一日を振り返ってみても何一つ思い浮かばない。心の感受性の問題か、それとも単に家から出ずにたいした活動していないことが問題なのだろうか。
たいしたことは確かにしていないが、ただそれだけが問題ではないように思う。日常の生活をじっくりと細かやかに振り返ってみれば何か心に引っかかりのあることが一つはあるはずである。それを見つけられないの良くない精神状態なのかもしれない。
日々の生活の中に幸せを感じられていない状態にあるといえるのではないだうか。
つまり、日々の生活から満足感が得られていない、楽しめていないということだろう。
生活はマンネリ化して新たな刺激が足りなく感じてる。それは自分の行動が安全圏から離れずにリスクや負荷のない、挑戦の足りないヌルい生き方をしていることの現れなのかもしれない。
そして挑戦がないだけではなく、日常の生活から何も感じられないのは、感受性が麻痺した心の状態なのだろう。心が麻痺していて何も感じれない、だから、生活がマンネリと感じたり、楽しみを見つけられないのだろう。
感受性をあげるには、新しいことに挑戦すること、心の解像度をあげるために自分の心と向き合う時間を作ることが必要だ。
特に、心に向き合うには瞑想で心の今の状態を感じることや、日記などを通して心で感じていることを文章にする作業で見つめ直すことが有用だ。
最近の日記では社会不安になっている新型コロナウイルスのことなどが思考を占領していて楽しいことや嬉しいことなどポジティブな思考ができなくなっているように思う。
ネガティブな思考に縛られるのではなく、ポジティブな思考、楽しいこと、嬉しいことなどが思考の中心を占めるような状態を作っていき、感受性を取り戻していこう。
『幸福を掴む秘訣は、自分が喜びを感じていることである』と言った内容を思想家のエマソンも言っていた。自分が喜びを感じるにはネガティブな面に思考を支配された状態では到底無理である。
ポジティブな思考、楽しいこと、嬉しいこと等の明るい面に思考を向けることを習慣づけることで人は幸福になれる。要は、人は自分自身が楽しい、嬉しいといった感情を感じることで幸せを実感できるのであって、それには幸せに繋がるポジティブな思考に意識を向ける努力が必要ということだ。
いつも四六時中、仕事のこと、お金のこと、人間関係のことに思考や感情が囚われて、ネガティブな考え、不安を抱えていては幸せが入り込む余地がない。そんな状態で幸せを感じることなどはできるわけない。
一日を振り返って楽しかったこと、嬉しかったこと、良かったことなどが何も思い浮かばないとすればネガティブな思考や感情に精神が占領されている証拠である。
意識的にポジティブなことに意識を向けて心で感じる作業を通して凝り固まった心をほぐしていかなければいつまでも負の感情に支配されたままになってしまう。
一日の気持ちのリセットのためにも、一日に一度でも心と向き合い、ポジティブな思考に戻す時間を取ることは忙しくて精神的な披露が激しい現代社会では運動と同じくらいに大事なことではないだろうか。
『自分自身以外に自分に平安をもたらすものはない』と 思想家のエマソンも言っている。自分で時間を作って自ら幸せを感じる努力をすることなし、幸せにはなれない。
他人が幸せにしてくれるなどは幻想である。自分が他人の行為にポジティブに反応できて初めて幸せを感じられる。
ささくれた心では他人の行為もネガティブに受け取ってしまい。自分も他人も不幸にしてしまう。そうならないためにもっと自分の心と向き合う時間を作っていこうと思う。