新型コロナウイルスから学べること!


新型コロナウイルスの影響で図書館の自習スペースが閉鎖された為に近所のマクドナルドにて執筆をすることにした。外で仕事はカフェか、図書館でしていたのだが、今はコロナの影響で公共の施設は閉鎖されているので仕方なくカフェ一択になってしまっている。
だが、カフェなどは以前はいつの時間も混み合っているので、充電したい、コーヒーを飲みたい時に利用してきたが、こちらもコロナの影響で人が少なくなっている様で人が少なくいつもより快適に作業ができている。
普段なら朝の通学で人が多い時間にカフェに向かうのだが、学生がいない事、時差通勤の影響か駅に向かう人の流れが少なく人がいない街と感じるのは震災以降久しぶりだろうか。
あの当時も福島の原発の放射能への恐れで街から人が消えて、どこか違う世界に迷い込んだような感覚を感じたが、今回もそれに近いものを感じている。それでも震災の時ほどの世間の空気の重さにはなっていないが、それに近づいている事が日に日に強くなっていることに不安を感じる。
あと一週間ほどで新型コロナがパンデミックになるか、収束するかわかるらしいが、今回の騒動がこの程度で終わってくれると有り難いと思うのだがどうなるだろうか。
以前からニュース記事で人類を滅ぼす危険があるものなどの特集でいつも取り上げられていたウイルス感染によるパンデミックが現実のものになりそうな状況に恐怖を感じる。けれども、今回のウイルスが致死性が低いので人類を滅ぼす云々といったことにはならないが、それでもこの時代に初めて経験する世界的な感染症ウイルスのパンデミックを経験するかもしれない。
今回の騒動がパンデミックになったとしても、それが今後のもっと致死性の高いものに対処するための良い経験、教訓になるなら、致死性の低い今回のウイルスはいい材料になるとも言えなくもない。亡くなった方も居るのに不謹慎ではあるがそう思わなくもない。 人類を滅ぼす危険性があるものとして、科学者や有名な起業家などが挙げていたことが、起こりそうになった時に実際に国はどれだけの準備ができていて、何ができるかという事が今回のことで明確になったように思う。
いつか起こると言われていた人類の脅威というものに対して国は無力だということだ、準備もできていないし、対応能力に限界があることが明かになった。 この機会を機に世界の、人類の危機に対応でき国を超えて行使できる世界政府的なものが出来れば人類がまた一歩、一つになる歩みになると思うのだが、それが今回の様な比較的軽い危機の経験から成されるのが最上であると思うが、もっと多くの犠牲、不幸が無くては一つに纏まることは難しいのではと思う方がが現実味があるのが悲しいことだ。
人類の危機と言えば地球温暖化も待ったなしである。人類は早急に地球規模の事態に対応できる機関の創設が急務ではないだろうか。なんてことを偉そうに綴りつつコーヒーを飲む。
早く普段の日常に戻ることを希望するが、それだけで終わってしまわないことを期待したいと思う。あぁ、そんなこともあったなで終わってしまっては学びがない。次に繋がる経験としていきたいものだ。