2020年4月。当時、緊急事態宣言が全国に拡大され、ようやくすべての都道府県が自粛体制に入りました。感染者がゼロの地域もあれば、東京のように毎日感染者が増え続ける地域もあり、一律の対応に戸惑う声も少なくありませんでした。
けれど、私自身はむしろ「最初から全国一斉に行動制限すべきだった」と思っていたので、全国的な引き締めがようやく実現したことに、どこか安堵したのを覚えています。
当時、私は都内で自宅作業をしており、仕事自体には大きな変化はなかったものの、外出は最小限に控えるようにしていました。ある日、天気が下り坂になるという予報を受け、朝一番に近所のスーパーへ買い出しに出かけた時のこと。開店直後ということもあり、店内は混雑もなく、比較的安全に買い物ができたと感じました。
しかし、店内で目にした光景に、私は強い違和感と怒りを覚えました。
感染リスクの高い空間に、小さな子供や、生後間もない赤ん坊を連れた家族連れが普通に買い物をしていたのです。もちろん、どうしても連れて行かざるを得ない事情があることは理解できます。ただ、それでも「なぜ今ここにいるのか?」と考えてしまう自分がいました。
さらに、マスクをしていない人、レジ前の距離ラインを無視して並ぶ人…。すでに多くの人が感染症対策の重要性を理解し始めていた時期にもかかわらず、そうした「危機感のなさ」に愕然としました。
このような人々を見ていると、感染症というものは、ウイルスの問題だけでなく「人の行動の問題」でもあるのだと痛感させられました。一部の無関心な行動が、社会全体のリスクを高めてしまう。その無力感と怒りを、私はどう処理すべきか分かりませんでした。
「自分が気をつければいい」というだけでは済まされない。それが感染症の怖さであり、社会全体の共通認識がなければ、終息は遠のくばかりなのです。
あれから数年。今となってはマスクも消え、街に人が戻り、かつての怒りや戸惑いは記憶の片隅に追いやられがちです。しかし、あの時私が抱いた焦燥感もまた、確かに生きた「記録」であり、また同じような危機が来た時に備えて残しておきたい記憶でもあります。