信じたくても信じられなかった、あの数字たち 〜2020年5月・コロナ禍の記録を振り返って〜



日付:2020年5月13日(振り返り投稿)

あれは、2020年の春も終わりかけた頃。
テレビのニュースが毎日のように「新型コロナウイルスの感染者数」を速報で伝えていた。

5月13日、東京都の発表は「新規感染者10人」。

──その数字を見たときの私の正直な感想は、「少なすぎて信じられない」だった。

もちろん、感染者が少ないのは本来なら喜ぶべきことなのだろう。
けれど当時の私は、そう素直に受け取ることができなかった。

■ 予想と現実のズレが生んだ違和感

ちょうどゴールデンウィーク明けのタイミングだった。
休暇中は検査数も減っていたと聞いていたので、休み明けの平日から感染者数は一気に跳ね上がると思っていた。

でも、実際に報道されたのは「10人」。

私はその数字に違和感を覚えた。
検査数は相変わらず少ないままだし、当時すでに「市中感染の広がり」を示す抗体検査の報告もちらほら出始めていた。
それでも公式発表では「減っている」とされていた。

自分の中で、どうにも辻褄が合わなかった。


■ 「数字」に振り回される不安と不信

この頃の私は、政府や自治体の発表する数字が本当に信頼できるものなのか疑いながら見ていた。

「検査の対象を限定していれば、陽性者数を操作することもできるんじゃないか?」
「本当はもっと感染者がいるのに、数字だけで“安全”を装っていないか?」

疑心暗鬼になっていた。
いや、今思えば「疑うことで不安を処理しようとしていた」のかもしれない。

それくらい、当時は先の見えない日々が続いていた。


■ 今、あの時期を振り返って思うこと

当時の自分は「統計の不自然さ」に苛立っていたけれど、今となってはそれは社会全体が初めて経験する“混乱期”だったからこそ生まれた不整合でもあったのだと思う。

PCR検査の数は限られていたし、医療現場も情報も制度も、あらゆるものが追いついていなかった。
そんな状況で“完璧な数字”を求めること自体、難しかったのかもしれない。

だからといって、あの頃の自分の疑問や違和感が無意味だったとは思わない。

むしろ、「なぜそう感じたのか」「どうして信じられなかったのか」──
その理由を丁寧に見つめることが、今の情報社会を生きる上で大切な“自分なりの判断軸”を持つことにつながった。


■ 教訓:数字を疑うことと、自分の思考を疑うこと

私たちは日々、メディアやSNS、政府発表など様々な「数字」に囲まれて生きている。
その中には正確なものもあれば、意図的に加工されたものもある。

だからこそ、数字をそのまま鵜呑みにせず、「この数字の背景には何があるのか?」と自分の頭で考えることが重要だ。

ただ同時に、「自分の感じた不信感」すらも時には検証しなければならない。
感情から来る怒りや不安が、自分の判断を曇らせていることもあるからだ。

あの時期の私は、「誰も正解を持っていなかった」時代の中で、必死に“確かなもの”を探していたのだと思う。

そして今の私は、その経験から──
「不確かな時代に、自分なりの確かさをどう育てるか」
それを考えるようになった。


■ おわりに:過去の自分を肯定して、今を生きる

2020年の5月、感染者数の発表をめぐって感じたモヤモヤ。
それは、「信じたいけれど信じられない」という気持ちだった。

あれから数年が経ち、今もなお不安定な世界は続いている。
でも、当時の私のように「何かがおかしい」と感じる力は、今後の時代にも必要なセンサーだと思う。

それを否定せず、でも冷静に扱う。
自分を疑いすぎず、過信もしない。

そんな姿勢を持って、これからも暮らしていきたいと思う。