■ あの年の立夏、私の頭をよぎった“最悪の未来”
2020年5月、立夏の訪れとともに季節は急に夏の気配を帯び始めた。寒さが残る春から一気に気温が上がり、私は気候の激変に体も心もついていけないでいた。
だが、それ以上に世界が大きく揺らいでいた。
コロナウイルスという未曾有の感染症が、私たちの暮らしの隅々までを支配し始めた時期でもあった。
当時の私は、現実の不安に飲まれそうになりながら、こんな問いを抱いていた。
「このまま世界はどこへ向かうのだろう?」
■ 歴史の分岐点に立たされた人類
2020年当時の私は、振り返れば「デストピアSFのシナリオ」を想像し、備えを考えていた。
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テロ、災害、経済危機、そしてパンデミック…
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IT革命とAIによる仕事の喪失
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自国優先主義による国家間の分断
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ベーシックインカムの導入
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最悪の事態として第三次世界大戦の可能性
それらは決して空想ではなく、すでに兆しがある現実の「延長線上」にある未来だった。コロナウイルスがさらに凶悪化すれば、人口減少や食料危機、そして人類規模の試練が押し寄せるかもしれない……。そんな風に私は予測していた。
■ そして、あれから5年。今、何を思うか?
2025年の今、現実は当時想定した“最悪”のシナリオには至っていない。
しかし、分断と格差、AIによる雇用構造の変化、気候変動による自然災害の増加など、その予兆は確実に進んでいる。
一方で、人類が希望を持ち続けられるのは、最悪を予測しながらも**「選択」をし続けることができる存在だから**だとも思う。対話と協力、科学的理解と相互扶助の精神を忘れなければ、道はまだ分かれていない。
■ 教訓:未来を夢想することは、“備え”と“希望”の両方を育てる
2020年に描いた未来予測は、悲観的に思えるかもしれない。
しかし、それを想像することが「今、自分にできることは何か?」を問い直すきっかけになるのだ。
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自給的な暮らしのヒントを得る
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情報のリテラシーを鍛える
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社会の構造や流れに無関心でいない
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自分の半径5メートルの幸せを守れる準備をする
そうしたことが、未来に対してあらかじめ心と体を整える「備え」になる。
🌏 締めの一言
“夢想”とは、現実逃避ではなく、現実の変化を先回りして捉える思考のトレーニングでもある。
最悪を想定し、最善を選ぶ。
それが、デストピアを生き抜くための人間の知恵なのだと思う。