ロシア侵攻を「自分ごと」として感じられる日は来るのか?



日付:2022年2月24日

ロシアがウクライナに軍事侵攻し、多くの犠牲者が出ている。
お昼のワイドショーなどで「戦争が起こる可能性はある」とたびたび言われていたが、ついにその“不安”が“現実”となってしまった。


■ 戦争は「高くつく」はずだったのに…

現代において、戦争は経済的・外交的に割に合わない行為だというのが一般的な認識だった。
それにもかかわらず、なぜロシアはウクライナに侵攻したのか――。
国際政治に詳しくない私には理解できない。ただ、ひとつ願うのは、この戦火がこれ以上拡大しないこと。それだけだ。


■ 現実なのに“他人事”であることの違和感

ロシアや中国、北朝鮮など、独裁的な体制がリスクを生む可能性は多くの専門家が指摘していた。
それでも、こうして現実に戦争が始まっても、どこか「実感」が湧かない。
ニュースは毎日流れている。SNSでも、写真や映像がリアルタイムで届いている。
それでも、「遠くの国の出来事」として、どこか心に届き切らない。なぜだろうか。


■ 技術が進めば「実感」は生まれるのか?

4Kの高画質映像、リアルタイムの現地レポート、ドローンからの空撮映像。
今のメディアはかつてないほど情報を「伝える力」を持っている。
それでもなお、戦争の“現場の温度”や“感情の重み”までは、完全には伝わらない。

もし、VRゴーグルで戦場にいるかのような視覚体験ができたらどうだろう?
現地の記者が中継する爆撃の音、緊張の空気、避難する人々の顔。
そうしたものを“疑似体験”できたら、人々の意識はもっと変わるのだろうか。


■ 情報の「質」と「距離」が感情を動かす?

人間は、情報の量や質、そしてその「距離感」で感情を動かされるのかもしれない。
そう考えると、情報の限界が人の共感の限界を生んでいるともいえる。
そして逆にいえば、テクノロジーが進化すれば、「地球で起きていることすべてが“自分ごと”になる」未来もありえるのではないか。


■ 終わりに:無関心を超えていくために

戦争のニュースに「心が動かない」ことに、罪悪感のようなものを感じることがある。
でもそれは、私たち個人の冷たさではなく、“感じる力”を支える仕組みがまだ不十分だからかもしれない。

これからのメディアは、ただ事実を伝えるだけでなく、“他人の現実を自分の感情で感じる”ための装置になっていくべきなのかもしれない。