手取り14万円問題の本質は“個人のせい”ではない



「手取り14万円で生きていく」ことの現実と問い

ある日のSNSで、「日本、終わってますよね」という投稿が話題になっていた。都内で12年働いている人が、手取り14万円だとつぶやいた。これに対して、ホリエモン氏が「日本が終わってるんじゃなくて『お前』が終わってんだよwww」と反応したことで、さらに議論は広がった。

最初にそれを目にしたとき、僕は少し立ち止まってしまった。たしかに、12年間も低賃金で働き続けたのは本人の選択かもしれない。けれども、その背景にあるものを「自己責任」で片付けてしまっていいのだろうか――そんな問いが、心のどこかに残った。

「選べばもっと稼げる」という論理の違和感

「都内なら他にいくらでも仕事はある」「嫌なら辞めればよかった」――よく聞く意見だ。でも、誰もが常に自分に合った仕事にすぐ就けるわけじゃないし、家庭や体調、学歴や年齢、キャリアの蓄積など、さまざまな事情がある。

僕自身も、選んだ道が正解だったかと聞かれると自信がないときがある。「転職していればよかったかもしれない」「もっと違う選択ができたかもしれない」――そんな後悔や迷いを抱えながら働いている人は、きっと少なくないはずだ。

そして、問題は個人の選択の「正しさ」だけではない気がしている。

問題は“その給料で続けられる”企業構造にあるのでは?

手取り14万円で東京に住み、12年間も働き続ける――それが成立してしまうことこそが、今の日本の構造の歪みかもしれない。

企業の9割以上が中小企業。その多くが、厳しい経営環境の中で補助金や助成金を頼りにどうにか生き残っている。そうした企業の中には、従業員に十分な賃金を支払う余力がないところもある。いや、それを前提に回っているところすらある。

生産性の向上が求められて久しいけれど、「なんとなく続いている」企業が多い現状では、労働者の待遇改善にも限界がある。そうした環境で働く人たちに対し、「努力が足りない」と責めるのは、あまりに酷な話だ。

生き方の多様性が認められる社会に

今回の一件で、僕が一番気になったのは「それでも働き続けた12年」という時間の重さだった。

一人の人が、生活のため、家族のため、夢や誇りのため、どんな思いで働き続けたかは、簡単に測れるものではない。そして、それをあざ笑うような声が大きくなってしまう空気も、どこか息苦しい。

僕たちは、いつから「苦しい人を笑う社会」になってしまったのだろう。

確かに、世の中にはもっと稼ぐ方法があるかもしれない。けれど、それぞれの事情や背景を汲み取ることなく「選ばなかったお前が悪い」で済ませてしまう社会に、未来はあるのだろうか。

自分を責めすぎないでほしい

僕自身、今でも迷うことがある。「この働き方でいいのか」「自分はもっとできるのか」そんな葛藤は、年齢を重ねてもなくならない。

だから、あの投稿をした人にも、そして同じような環境で働いている人にも、こう伝えたい。

「生きてるだけで、すごい」と。

たとえ収入が少なくても、働き続けることには確かな意味がある。そしてそれは、きっと誰かが見ている。だから、どうか自分を責めすぎないでほしい。

少しずつでも、自分のペースで進んでいけたら――それが、僕自身が今も信じていたい生き方です。