世界はいつも同じだろうか?ふとした違和感から考えたこと



日付:2020年2月10日

朝起きて、食事をして、仕事をして、夜は少しだけ自分の時間を持ち、また眠る。
そんな毎日を繰り返していると、人生とはこの“ルーティンの反復”そのものだなと思うことがあります。

もちろん、やることは日によって少し違う。でも本質的には「起きる・何かする・寝る」を毎日繰り返しているにすぎない。おそらく多くの人が似たようなサイクルの中で生きているのではないでしょうか。


■ あの同窓会で感じた違和感

数年前、小学校の同窓会に参加したときのことです。懐かしい顔ぶれと昔話に花を咲かせる中で、ふとした違和感を覚えました。

「こんな出来事があったよね」と話す人の記憶が、自分の記憶と微妙に違う。
誰もが覚えているはずの場面なのに、ある人だけが全く違う話をしていたり、逆に誰も覚えていないことを鮮明に語る人がいたりする。

その時ふと思ったのです。
**「この人はもしかして“別の世界”から来たんじゃないか」**と。

もちろん、実際にはそんなことはないでしょう。記憶違いや忘れていただけ、という可能性が高い。だけど心のどこかで、「この世界と少しだけズレた別の世界」という妄想がふと浮かんでしまうのです。


■ 「昨日」と「今日」は本当に同じ自分なのか?

寝ている間、私たちの意識は途切れます。
その後、朝目が覚めたとき、「昨日の自分」と「今日の自分」は本当に“同じ存在”なのでしょうか?

そう考えると、「意識の連続性」って不思議なものです。
記憶がつながっているから“自分”だと認識できるけれど、それも曖昧な過去の記憶にすぎないのかもしれない。


■ シミュレーション仮説の妄想

最近よく耳にする「この世界は高度な文明によるシミュレーション世界ではないか」という説。
これを真に受けるつもりはないけれど、どこかで「もしかしたら…」と思ってしまう自分がいます。

もしこの世界がシミュレーションだとしたら、そこには無数の“パラレルな世界”が存在しているのかもしれない。
そして、ごくまれにその境界があいまいになって、記憶の一部だけが他の世界から流れ込んでくることがあるとしたら…。

神隠しの伝承や、前世の記憶を語る子ども、未来から来たという話をする人たちも、もしかするとそんな“プログラムのバグ”のような現象なのかもしれない――。


■ 世界にほんの少しのズレを感じる瞬間

こうして書いていても、これはただの妄想にすぎないと思う反面、心のどこかでは「そうかもしれない」という感覚が残る。

朝起きていつもの生活が始まる。
でも、もしかしたら昨日とは少しだけ違う“別の世界”に自分はいるのではないか。
そんな感覚を持ったことがある方も、少なくないのではと思います。


「世界とはなにか」「自分とは誰なのか」――
そんな大げさなテーマではあるけれど、日常の隙間にふと顔を出す“違和感”から、そんなことを考えることがあります。

これを題材にして、なにか小説のような物語が書けたら面白いかもしれませんね。
今日はそんな、ちょっと不思議な話でした。ではでは……。