スマホのニュースアプリに、僕の「知的好奇心」は奪われた



1. AIが見せてくれる「偏った世界」


新聞を購読しなくなって、もう何年になるだろうか。

今では、スマートフォン一つで、AIが僕のために選んでくれたニュース記事を読むのが当たり前になった。

でも、このAIが選んでくれるニュースに、最近はどうも違和感を感じている。

一度興味があると判断された記事は、形を変えて何度も何度も配信されてくる。

まるで、「あなたはこれが好きでしょ?」と、有無を言わさず押し付けられているようだ。

一度スルーした記事でも、また別の形で表示されることもある。

興味がないとわかっているはずなのに、なぜだろう?

僕の好奇心は、いつの間にかこのアプリのAIによって囲い込まれてしまったような気がした。

昔は新聞をめくって、予期せぬ記事に出会う喜びがあった。

自分では絶対に読まないような社会問題や、専門的なコラムに触れて、新しい発見があった。

でも、今の僕のニュースアプリは、いつも同じような芸能人のゴシップや、どうでもいい炎上騒ぎばかりを届けてくる。

まるで、僕の知的好奇心は、このアプリによって奪われてしまったかのように感じた。



2. 記事の海に溺れる「時間の無駄」


スマホのニュースアプリのもう一つの不満は、その記事の質だ。

新聞と違い、ウェブの記事は、やたらと文章が長い。

検索エンジンの評価を上げるために文字数を増やす、そんな裏事情があるのは知っている。

しかし、その結果、中身が薄い記事ばかりが増えてしまった。

短い文で事実だけを伝える新聞と違い、スマホのニュースアプリは、無駄な前置きや、どうでもいい感想がやたらと多い。

一つのニュースを知るために、何分もかけて記事を読み進めても、結局、得られる情報はたった一行だけ、なんてこともざらにある。

僕たちの時間は有限だ。

無料のニュースアプリが、結果として僕たちの貴重な時間を浪費させている。

そう考えると、なんだか騙されているような、空しい気持ちになった。



3. 「不便さ」が教えてくれた大切なこと


そんな風に、スマホのニュースアプリに不満ばかりを感じるようになった僕は、改めて新聞というメディアの凄さを思い知った。

短い言葉で事実を伝え、社説やコラムで深く考察する。

そこに、無駄な装飾はない。

もし、スマホのニュースアプリが、AIが選別したニュースを、新聞のように簡潔に、そして事実のみに絞って配信してくれたら……そう夢想した。

しかし、きっとそれは叶わないだろう。

でも、この「不便さ」が僕に大切なことを教えてくれた。

それは、情報の受け取り方も、自分で選ぶべきだということ。

AIが選んでくれる快適さに甘えて、思考停止してはいけない。

自分の目で情報を探し、自分の頭で考え、自分にとって本当に必要な知識は何かを判断する。

この手間こそが、僕たちの知的好奇心を守る唯一の方法なのかもしれない。



4. 読者へのひとこと・まとめ


僕たちの生活は、AIによってどんどん便利になっている。

でも、その便利さと引き換えに、何か大切なものを失っていないだろうか?

スマホのニュースアプリに、ふと虚しさを感じたとき。

それは、きっと「もっと本質的な情報を求めている」という、心のサインなのだと思う。

無料だからと割り切るのではなく、本当に知りたいことのために、少し手間をかけてみる。

そうすることで、僕たちの世界は、また違った色で見えてくるのかもしれない。

不器用な僕だけど、情報との向き合い方を、これからも丁寧に選んでいけたら、それでいいんじゃないかと僕は思う。