1. 煩わしい人間関係と、僕の心の壁
最近、歳を重ねるごとに人との関わりが億劫になっていくのをひしひしと感じている。深く踏み込むのが煩わしいし、誰かに興味を持つことさえ面倒になってしまった。
仕事や身近な人との付き合いは最低限。関係を深めることもなく、ただ波風を立てないようにやり過ごす。これが、いつの間にか僕の人間関係における基本方針になっていた。
でも、本当はそれで満足しているわけじゃない。
心の中には、ずっと矛盾を抱えていた。「人は煩わしいから関わりたくない」と思う一方で、「好きな人、心から惹かれる人とは深く繋がりたい」という強い欲求も捨てきれない。人間嫌いなはずなのに、一人でいるのは寂しい。そんな、自分でも都合がいいと思う生き方を、僕は心のどこかで求めていた。
こんな風に、自分の気持ちに素直になれないまま、周りに壁を作っている自分に、もどかしさを感じたことはありませんか?人と関わることを避けながらも、どこかで孤独を恐れている。そんな不器用な自分を、僕は長年持て余していた。
2. 臆病になった僕と、失われた自信
若い頃は、もっと気軽に人と繋がれたはずなのに。今では、誰かを食事に誘うことすら、心のハードルがものすごく高くなってしまった。声をかける前から「どうせ断られるだろう」と決めつけて、諦めてしまう。
なぜ、こんなにも臆病になってしまったのか。一番の原因は、歳を重ねるごとに自信をなくしていったことにあると思う。
良い歳の取り方をしていれば、社会的な信用や経験からくる余裕で、自己肯定感も高まるのだろう。けれど、僕は未だに精神的には20代の頃から成長していないような気がして、自分を卑下することが多かった。
鏡に映る衰えゆく容姿。若い頃のような体力もない。社会的な成功と呼べるものも手にしていない。
他の人と自分を比べては、「僕はダメだ」と勝手にレッテルを貼り、勝手に落ち込む。
その積み重ねで、僕の自己肯定感はどんどん低くなっていった。そして、自信を失うにつれて、人と関わるのが怖くなり、面倒になった。僕が人間関係を避けていたのは、他人が嫌いだからではなく、自分を好きになれなかったからなのかもしれない。
3. 「自分は自分。人は人」という呪文
そんな僕が、少しだけ前向きになれたのは、ある気づきがあったからだ。
僕が人と比べて落ち込んでいたのは、勝手に「誰かの基準」で自分を評価していたからだと気づいたのだ。若い人と容姿を比べたり、成功している人と社会的地位を比べたり。でも、それは全く意味のないことだった。
他人と比べて優劣をつけたところで、僕の人生が豊かになるわけではない。
大切なのは、僕自身の物差しで、僕自身の人生を評価すること。
「自分は自分。人は人」
そう心の中で唱えるようになってから、少しずつ楽になった。完璧な容姿でなくても、大成功を収めていなくても、ありのままの僕でいい。
この言葉は、決して他人への無関心を意味するわけじゃない。他人を尊重し、自分もまた尊重されるべき存在だと認めるための、大切な呪文なのだ。他人と自分を切り離すことで、ようやく僕は、自分の人生を生きる第一歩を踏み出せた気がする。
4. 読者へのひとこと・まとめ
誰かと比べて落ち込んでしまう気持ち、すごくよく分かります。今の時代は、簡単に他人と比較できる情報で溢れていますから。
でも、もしあなたが僕と同じように悩んでいるなら、一度立ち止まって、自分にこう問いかけてみてください。
「誰かと比べる必要はあるだろうか?」
そして、心の中で「自分は自分。人は人」と呟いてみてください。
きっと、少しだけ心が軽くなるはずです。
僕もまだ、完全に比較する癖が抜けたわけではありません。それでも、自分を認め、自分を愛そうと努力することで、少しずつ自己肯定感を取り戻せている気がします。
そんな風に、不器用でも少しずつ前に進んでいけたら、それでいいんじゃないかと僕は思うんです。
