自分のダメなところばかり数えて、勝手に落ち込んでいた頃の話

 


1. 完璧を求める僕と、ささいな失敗の積み重ね


僕には、どうしようもないほど完璧主義な一面があった。と言っても、仕事で成果を出せるタイプではなく、日常の些細なことで自分を追い込んでしまう、厄介な完璧主義だ。

例えば、朝のルーティン。決まった時間に起きられなかったり、読みたかった本を読み忘れたりすると、「ああ、またダメだった」と朝から自己嫌悪に陥る。友人との会話でも、気の利いたジョークが言えなかったり、話の展開がうまくいかなかったりすると、一人反省会が始まる。「もっと面白く話せたらよかったのに」「あの言い方は失礼だったかな」と、帰りの電車の中でずっと考え込んでしまう。

特にひどかったのは、週末に家で過ごす時間だ。せっかくの休みだからと、掃除、読書、勉強、趣味の時間と、やることリストをびっしり書き込んでいた。しかし、そのリスト通りに進まないことがほとんどだった。床の隅には小さな埃が残っているし、買っておいた本は一ページも開いていない。すると、僕はもうダメだ、と勝手に落ち込むのだ。

こんな風に、自分のダメなところばかりを数えて、ため息をついている時間、あなたにもありませんか?

誰に咎められるわけでもないのに、自分自身が一番厳しい審査員になって、勝手に失格の烙印を押してしまう。そんな不器用な生き方を、僕は長年続けていた。



2. 失敗を許せなかった、心の奥にある声


なぜ、僕はこんなにも自分に厳しかったのだろう。今思えば、それは「完璧でなければ、愛されない」という、幼い頃に刷り込まれた価値観が根底にあったのかもしれない。完璧な自分を演じなければ、誰も僕のことを見てくれない、という漠然とした不安。

だから、小さな失敗すら許せなかった。失敗は僕の価値を下げ、僕の存在を否定するものだと、本気で思い込んでいた。

当時の僕がよく口にしていたのは、「ちゃんとしなきゃ」という言葉だ。

食事はちゃんと作らなきゃ。

部屋はちゃんと片付けなきゃ。

人にはちゃんと気を遣わなきゃ。

その「ちゃんと」の基準は、いつも僕自身が勝手に決めた、非常に高いハードルだった。

その結果、僕はいつも疲れていた。

休んでいるはずの日曜日の夜も、「明日からまた、ちゃんとできるかな」という漠然とした不安に襲われ、なかなか寝付けない。

自分の人生なのに、誰かに監視されているような、息苦しさを感じていた。

僕は、僕自身が一番の敵だったのだ。心の奥底で鳴り響く「ちゃんとしなきゃ」という声に、ずっと怯えながら生きていた。



3. 「まあ、いっか」が僕を救ってくれた


そんな僕を変えるきっかけになったのは、本当に些細なことだった。

ある日、楽しみにしていた映画を見ようと意気込んでいたのに、気がついたら夕方まで寝てしまった。いつもの僕なら、激しく後悔し、自分を責め続けていただろう。しかしその日は、なぜかそうは思えなかった。

「まあ、いっか。疲れてたんだな」

そう口に出してみたら、不思議なほど心が軽くなったのだ。

この日を境に、僕は「まあ、いっか」を自分の心の杖にしてみることにした。

読もうと思っていた本を読めなかったら、「まあ、いっか、また今度読もう」

部屋の掃除が行き届いていなくても、「まあ、いっか、無理しなくても大丈夫」

そんな風に、自分を許してあげる練習を続けた。

すると、面白いことが起きた。

「まあ、いっか」と受け流すことで、本当にやるべきことや、心からやりたいことが少しずつ見えてきたのだ。

完璧にできなくても、少しずつ掃除を始めてみたり、ほんの数ページだけでも本を読んでみたり。

以前のように、やらなかったことに落ち込むのではなく、「少しでもできたこと」に目を向けられるようになった。

「まあ、いっか」は、僕にとって「諦め」の言葉ではなかった。

それは、自分を許し、ありのままの自分を受け入れるための、魔法の言葉だったのだ。



4. 読者へのひとこと・まとめ


僕たちの人生は、完璧な瞬間ばかりではない。

むしろ、失敗や後悔、そして「ダメな自分」と向き合う時間のほうが多いのかもしれない。

もしあなたが、昔の僕のように自分を責め続けているなら、一度立ち止まって、自分にこう言ってあげてみてはどうだろうか。

「まあ、いっか」

それは、決して無責任な言葉じゃない。

自分の弱さや不器用さもひっくるめて、ありのままの自分を受け入れるための、最初の一歩だ。

僕もまだ、完璧主義な自分が顔を出すことがある。

それでも、「まあ、いっか」という言葉を口にするたびに、ほんの少しだけ、自分を好きになれている気がする。

そんな風に、少しずつでも前に進んでいけたら、それでいいんじゃないかと僕は思う。