何十年も通う場所で、初めて「近所」を見つけた話。――心の強制再起動

 



先日、茨城にある別荘へ2泊3日で行ってきました。 ここへ通い始めてもう何十年にもなりますが、今回の滞在は、これまでで一番「何もしない」贅沢を味わった旅だったかもしれません。

1. 効率を捨て、ただ「薪」と向き合う動的な瞑想

今回の旅の目的は、観光でも贅沢な食事でもありませんでした。昨年から手付かずのまま庭の隅に積まれていた枯れ木を、ひたすら薪にする。ただそれだけのことです。

黙々と枝を払い、斧を振る。乾いた木が割れる快音と、手に伝わる確かな衝撃。 現代の生活では、ボタン一つで部屋が温まりますが、自分の手を動かして「暖」の準備を整える作業には、何物にも代えがたい手触りがあります。

頭をフル回転させ続ける日常から切り離され、目の前の木とだけ向き合う時間。それは僕にとって、一種の「動的な瞑想」のようでした。一回だけ近くの温泉に浸かりに行きましたが、それ以外に特別なことは何もしていません。それでも、帰宅したときの充実感は、どんな豪華なフルコースを堪能するよりも深いものでした。

2. 場所を変えることで、心のOSをシャットダウンする

家の中でどれだけ休もうとしても、視界には「片付けなきゃいけない書類」や「掃除したい部屋の隅」が入り込んできます。日常というOSがバックグラウンドで動き続けている限り、心は本当の意味でリセットされないのかもしれません。

物理的に場所を変えるということは、強制的にそのOSをシャットダウンする作業です。 「いつもの自分」の役割を脱ぎ捨て、見知らぬ天井の下や、静かな森のそばに身を置く。そうすることで、マンネリ化した思考の回路が一度途切れ、心が本来の健やかさを取り戻して再起動(リブート)される感覚を、肌で感じることができました。

3. 30年目にして出会った、5分の散歩道

今回の滞在で、一番の収穫がありました。 それは、運動がてら朝の5分、10分ほど近所を歩いてみたときのことです。 何十年も通い、この場所のことはすべて知り尽くしたつもりでいました。けれど、車ではなく自分の足で歩いてみると、「なぜ今まで、これほど美しいものに気づかなかったのか」と自分でも驚くような、新鮮な風景が広がっていたのです。

これまで僕は、別荘という「点」にだけ着地して、そこから外の世界を眺めていただけだったのかもしれません。道端に咲く名もなき草木や、朝の光に透ける葉の色。ほんの少し「解像度」を上げて歩くだけで、見慣れたはずの場所が、全く新しい世界として僕の前に立ち上がってきました。

充実感は「何をしたか」ではなく「どう在ったか」

「せっかくの休みだから、何か有意義なことをしなきゃ」という強迫観念を捨て、ただその場所の空気に溶け込み、目の前の作業に没頭する。 今回の茨城滞在は、豊かさとは何かを付け足すことではなく、余計なものを削ぎ落とした「余白」の中にこそ宿るのだと、改めて教えてくれました。

何十年通っても、まだ新しい発見がある。そんな「底の知れない場所」が自分にあるということが、今の僕にはとても心強く、幸福なことに感じられます。


(あとがき) 皆さんは最近、ご自身の「心の再起動」はできていますか? 遠くへ行く必要はないのかもしれません。いつもの場所で、いつもと違うリズムで過ごしてみる。あるいは、スマホを置いて5分だけ近所を歩いてみる。それだけで、世界は驚くほど新しく見えるはずですよ。