『今宵ふたたび』を読んで、僕が一番心を開かれた「たったひとつの魅力」

 



ふと立ち止まったとき、自分の過去の選択や失敗を思い出して、胸がキュッと締めつけられることはありませんか。

「あのとき、どうしてあんなことをしてしまったんだろう」
「もっとうまく生きられたはずなのに」

そんな風に自分を責めてしまう夜に、そっと寄り添ってくれる一冊の本に出会いました。それが、並木行夫の小説『今宵ふたたび』です。

あらすじの面白さや目まぐるしい人間関係のドラマもさることながら、僕がこの本にいちばん心を開かれたのは、「過去の傷や過ちを背負った人間が、どうやって自分を許し、前を向いて生き直すのか」という、ヒロイン・多岐子の葛藤と、彼女を包み込む言葉の温かさでした。

効率や正解ばかりが求められる現代において、回り道をしながらも愚直に生きる彼女の姿は、僕たちに大切なことを教えてくれている気がするのです。多岐子の歩みから感じた魅力を、3つの視点から紐解いてみたいと思います。

1. 華やかな「光」の裏に隠された、あかぎれの記憶

主人公の志賀多岐子は、戦後の丸の内でお濠ばたをピカピカの試乗車で疾走する「試乗奉仕係(デモンストレーター)」として働いています。革手袋をはめ、颯爽とハンドルを握る彼女の姿は、街ゆく人々から「どこかの令嬢か」と見間違われるほど華やかです。

ですが、彼女の原点にあるのは極貧の少女時代でした。
お腹を空かせながら「ご飯を食べに帰る」と嘘をついて誰もいない校庭で過ごした日々。13歳で女中奉公に出され、凍える手で重い手押車を押し、かかとから血を滲ませた記憶。

大人になり、自立して華やかな世界に飛び込んでいく彼女の姿は、一見すると「貧しさを跳ね返した成功ストーリー」に見えるかもしれません。けれど、僕の胸を打ったのはその完璧さではなく、むしろその後に見せる「人間らしい弱さ」でした。

「二度とあの貧しさに戻りたくない」という焦りや恐怖から、彼女は危険な恋に足を踏み入れ、大切な人を傷つけ、自分自身をも見失ってしまいます。

完璧で清らかなヒロインではない。等身大の人間らしく迷い、愚かな失敗をしてしまう。その泥臭いまでのリアリティに触れたとき、僕はどこか他人事ではない親しみと、切ない愛おしさを感じずにはいられませんでした。

2. 「生まれた時から穢れている人間なんて、一人だっているはずがない」

どん底までつまずき、自暴自棄になって「こんな卑しい、軽薄な女はもう駄目だ」と自分を責めて泣く多岐子。そんな彼女に対して、上司の佐野謙一がかけた言葉があります。

「生れた時から穢れている人間なんて一人だつてある筈はないだろう」

この一言を読んだとき、僕自身の胸の奥にあった古い傷までもが、静かに洗われていくような感覚を覚えました。

生きている中でつまずいたり、間違った選択をしてしまったりすることは、誰にでもあります。けれど、それによってその人の価値そのものが汚れて消えてしまうわけではないのだと、この言葉は教えてくれます。どんなに傷ついても、そこから自分の足で新しく出直せばいい。

失敗した自分を突き放すのではなく、不器用な歩みそのものを丸ごと肯定してくれる優しさが、ここにはあります。

3. 小さな音色が引き出す、自分を取り戻す強さ

少女時代、小学校の恩師・松井先生から「この鈴の鳴る毎に思い出して」と贈られた「小さな銀の鈴」。多岐子は大人になってから、その鈴をハンドバッグの口金に結び直します。

自分を見失いそうになったとき、バッグの脇で「ちりん」と澄んだ音を立てる小さな鈴。

それは、彼女がまだ何者でもなかった頃の純粋な心や、自分を案じてくれた人の温もりを呼び覚ますスイッチでした。不器用ながらも温かい人々の言葉と、その小さな鈴の音に支えられて、多岐子は最後にもう一度、自分の人生を誇り高く歩み出し始めます。

遠回りをしたかもしれないけれど、傷ついた分だけ、彼女の立ち姿はしなやかで美しく見えました。

おわりに

世の中は、一度の失敗も許されないような厳しいスピードで進んでいるように思えることがあります。でも、『今宵ふたたび』を開くと、「間違えてもいい、またここから始めればいいんだ」と、肩の力を抜かせてもらえる気がするのです。

物語の劇的な展開も素晴らしいのですが、もしこの本を手に取られるなら、ぜひ「傷つきながらも立ち直っていく多岐子のしなやかさ」と「人間を全肯定してくれる温かい言葉たち」に耳を澄ませてみてください。

自分の不器用さに嫌気がさしたり、自信を失いそうになったりした夜。この一冊が、あなたのそばで静かに寄り添い、背中をやさしく押してくれるはずです。



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