あれからもう5年──
2020年の春、私は自宅のベランダで、ぽつんと日記を書いていました。
理由は単純で、「出かける場所がなかった」から。そして、マスクを着けての外出が億劫だったからです。
当時、日本では緊急事態宣言が出され、人々の生活様式が急激に変わりました。私もその流れの中で、これまで普通だった日常が音もなく変わっていくのを肌で感じていた一人です。
外に出たいけれど、出られない日々
ベランダで日差しを浴びながら、「ここにいるしかないんだな」と静かに思いました。
玄関先のテラスでくつろぐ欧米の映画のワンシーンのように、自宅のわずかな空間を活用して、なんとか気分を保とうとしていたのだと思います。
振り返れば、そのとき初めて、日光のあたたかさや風の香りを「こんなにも貴重なもの」として意識しました。
ベランダからの眺めは変わらないはずなのに、どこか「世界が静まり返ったような」違和感があったのをよく覚えています。
音が消えた世界と、人の気配
かつては聞こえていた子どもの笑い声や、近所の人たちの井戸端会議の声──
そうした“日常の音”が、すべて消えました。
それは、ただの「静けさ」ではありませんでした。
社会的なつながりが遮断された音のない世界。
人と人の距離だけでなく、心の距離さえも離れていくような気がして、胸が少し苦しくなりました。
戻らない日常、変わる世界
「これは一時的なことだ」と信じていたのに、やがて私はこう予想するようになります。
──この“新しい日常”は、もう戻らないのではないか、と。
コロナウイルスはおそらく長く共にする存在になる。しかも、それは姿や形を変えて、より大きなインパクトをもたらす可能性すらある。
人と直接会うこと、触れ合うことがリスクになる社会。そんなディストピア的な未来像が、リアルな想像として私の中に浮かんでいました。
今だからこそ見える“教訓”
5年が経ち、私たちはたしかに少しずつ元の暮らしを取り戻しつつあります。
ですが、マスクをする習慣や、人と一定の距離を保つマナーなど、“あの時代”の名残はまだ色濃く残っています。
改めて思うのは、「人とのつながり」の価値です。
それは単なる会話や交流ではなく、生活のリズムや心の健康にも深く関わる、人間らしさの根幹にあるもの。
最後に──未来を過度に怖れず、今を丁寧に
あのときの私は、不安と孤独の中で“世界がどう変わるか”ばかりを見ていたように思います。
でも、いまは違います。世界の大きな流れだけでなく、「今日の自分がどんなふうに生きるか」という視点を取り戻しつつあります。
静かなベランダで風を感じたように、小さな日常を大切にすること。
人とのつながりを、恐れではなく“喜び”として感じられるような未来を少しずつ育てていきたい──
そんな思いを込めて、この記録を改めて残します。
✍️ 本記事は2020年4月の記録を、2025年の視点から再構成した振り返り記事です。
オリジナル記事はこちら → [コロナの世界で生きる(2020年原文)]