IT後進国のままでいいのか? ――冷蔵庫ひとつで気づいた日本社会の「限界」と、あれからの5年



2020年、僕は冷蔵庫の買い替えに2週間を要した。
電源を抜き差ししてなんとか動く状態でやり過ごしながら、ぬるい飲み物を我慢し、ストレスを感じる毎日。
そんな日々のなかで、次第に募ったのは単なる不便さを超えた「この国、大丈夫か?」という危機感だった。

振り返ればあの頃、日本はコロナ禍の真っ只中にあり、社会のあらゆる仕組みが軋んでいた。
僕はその歪みに日常の中で直面し、どうしようもない無力感とともに、こう書いた。

「日本はこのままではIT後進国になる。」

このブログ記事は、そのときの正直な叫びだった。

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デジタル化した「ふり」をする国

冷蔵庫が届くまでに2週間。
なぜそれほどかかったのか。当時、僕なりに考察した。

販売会社の在庫管理や配送手配は一応「デジタル化」されていた。
けれどそれは、かつて紙でやっていたことを単にデジタルに置き換えただけ。
契約、配送手配、社内決裁……あらゆるプロセスは、旧来の人力・手順依存のまま、根本は変わっていなかった。

僕が購入した冷蔵庫は店舗展示品だったため、一度配送センターに送り、清掃・再梱包をしてからの再配送という“お役所的”マニュアルに縛られていた。
「今は暇な時期なのに早くできないんですか?」という問いにも、販売店の店員さんは苦笑いするだけだったのを覚えている。


「人を動かす仕事」から、「システムが動く社会」へ

当時の日本は、デジタル処理をしているように見せかけて、実際は「人を動かす」ことが前提の社会だった。

だけど僕たちの生活には、もうそんな余裕はない。
1時間、1日、1週間――時間コストが重くのしかかる。
それを誰かが“我慢”することで成立する社会は、限界を迎えていた。

この頃の僕は、失業に近い状況で精神的にも体調的にもボロボロで、ほんの小さなことにも敏感だった。
だからこそ、冷蔵庫の件は「この国、なにか根本的におかしいんじゃないか?」と感じさせる出来事になったのだと思う。


5年が経った今――少しは変われたのだろうか

2025年の今、ふと5年前の記事を読み返して、少し苦笑いした。
同時に、「じゃあ、今は本当に良くなったのか?」と問い返したくもなった。

マイナンバーカード、電子処理の導入、ネットバンキングの普及、オンライン行政手続きなど、たしかに表面的な変化は進んできた。
けれど、社会全体が本当に「スムーズになった」とは、まだ言い難い。

むしろ、表面だけの“IT化”が進んだことで、余計に混乱している場面も目にする。
パスワード、2段階認証、古いシステムと新しい仕組みの間に立ちすくむ高齢者たち。
そして、業務を支える現場の人間が、むしろ“ITの補助役”に回って疲弊しているケースも多い。


「今を生きる自分」として、願うこと

僕は今、警備の仕事をしている。
社会とつながり、毎月の収入を得られるようになった。
それだけで、5年前の僕からすれば奇跡のような回復だと思う。

だけど本当は、物を書いたり、考えたことを形にしたりする仕事がしたい。
小説やブログを通じて「自分自身の思考」を生かす生き方ができるようになりたい。

そのためにも、「無駄な手間」に心を削られる社会ではなく、もっとスムーズで、自由に生き方を選べるような社会にしてほしいと切に願っている。


「未来の社会」は、どこにあるのか

IT化の遅れを責めたいわけじゃない。
ただ、「こうだったらいいな」という未来像を、少しでも形にしていける社会であってほしい。

5年前、冷蔵庫の配送に2週間かかったことから、僕は怒りと悲しみとともに「IT後進国」という言葉を書いた。
でもいまは、あの怒りの裏にあった「もっと良くなってほしい」という願いを、ちゃんと自分で抱え直している。

これからもきっと、社会はすぐには変わらないだろう。
だけど、僕の生活は、そして僕自身は、あのときよりも少しずつ変われている。

だから今日も、自分の言葉で書き続けていこうと思う。
未来をつくるのは、どこかの誰かではなく、たぶんこうやって「いまを生きて、問い直し続ける自分」なんだ。